「お待たせをいたしました。お紅茶です。あとお砂糖も……あら、こちらお砂糖を入れているから、お砂糖はいらないのでしたわ。でも、置いておきますので、足りなかったら使ってくださいましね。」
立ち襟のテロッとした花柄のブラウスとしっかりした素材の膝丈スカート。
後ろできれいにまとめた白髪。
やわらかく丁寧な所作。
そして、なにより現実世界ではあまり聞いたことのない言葉遣い。
貴婦人だ。
昔の小説を読んで想像したことしかなかったけれど、そう思った。
2016年の中央線沿いの雑多な街で、彼女は異彩を放っていた。
絶え間なく訪れる台風で、なかなか洗濯ができなくて、今日はとうとうコインランドリーに来た。
シーツがぐるぐるまわっている間にと訪れた、コインランドリーの隣の喫茶店は、入った瞬間、異世界だった。
少しカビくさい店内に、赤いビロードのソファと、昔のヨーロッパ風の絵画や置物。
大音量のオペラ。
その音のなかで、一人でゆるやかな動きで働く貴婦人。
彼女は、たぼだぼのTシャツにキャップを斜めにかぶった若者にも、スーツを来たおじさんにも、おしゃべりなおばさんにも、平等に同じ丁寧さで接する。
ただ決して、客と無駄なコミュニケーションはとらない。
彼女は一日中、一人で大音量のオペラのなかで、ミルクティーを入れたり、トーストを焼いているのだ。
きっともう何十年も。
そう思うと、なぜかなんだか少し気が遠くなる。
時代の流れに惑わされず、店も服装も音楽も言葉遣いも、昔から好きなものを貫いているであろう貴婦人。
それは、新しいものと変化ばかり追いかけてインターネットをのぞき、自分の価値観が壊されるのを期待して、何度も旅にでてしまう私には、いくら歳をとっても、できそうにないからかもしれない。
変わらない、揺るがないものに憧れる。
でも、変わらないものが、とてもこわい。
最近、そんなことばかり考えている。
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