「争うっていうのは、誰かが誰かをひれ伏させるとか、支配するとかではなくて、お互いの軸をぶつけあって、新たな道をつくることですよ。『争う』という言葉が適切かは、わからないけれど」
先日、言われた言葉です。
そういう意味だったとしても、「争う」って、とても難しいなぁと思います。
仕事とか目的がはっきりしているものならまだしも、個人的な人間関係だったりするとさらに。
たとえば、家族、友人、恋人。
「あなたのために、やっておいたからね!」
「どうせあなたには、できないだろうから」
「ほら、やっぱりきみは気が利かない」
「あなた世間一般では微妙でも、私にとっては最高だから」
「やっぱり、きみはおかしいね」
「あなたを楽しませるために、こんなにいろいろしてるのに」
「心配してるからこそなの」
「これ好きなんでしょ。私もお揃いで買っちゃった」
「せっかく来たんだから、予定あいてるよね」
「こんなにいろいろやってもらったり、お金も払ってもらったり、あなたは幸せだよね」
それ以上踏み込まれると、疲れるんだけどなぁ。
その言葉に、笑って対応するのは、なかなか消耗するんだけどなぁ。
そう思ってもそう言えることなんて、なかなかありません。少なくとも私は。
一つ一つは些細なことな気がするし、
限界になると、押し黙ってしまいます。
それがお互いのためにいいことではないのはわかってはいるけれど、悪気のない、ときには親しみを持っているからこそ向けられることを拒否する方法がわかりません。
きっと彼らは、裏切られたような気分になるのだろうなぁと想像してしまうと、とても言うことなどできないのです。
とても日本的なのかもしれません。
なにも言わずに、そっと嫌いになる…というかんじ。
お互いにとって、それは悲しく、発展性のないことなのは、わかっているのです。
海外の友人に、そんなのフェアじゃない、と言われたのを思い出しました。
「自分が傷つけられた側だったとしても、その事実を隠すのは、フェアじゃない。
少なくとも、ぼくの信じるイスラム教では」
こういうとき、たしかに信じる宗教があるといいんだろうなぁと思います。
「これは私の信じる神の教えに準じて伝えておこうと思うんだけど、その言葉とか干渉に、私は耐えられそうもない」
あれ、書いてみると、「神の教え」を「私たちの今後の関係」に置き換えればいいのかな…?
いやいや、経験上、干渉や悪気のない言葉は、神の言葉をもってしても、越えられないような気も……。
ストレートに言うのではなく、伝わる方法が、きっとあるのだと思います。
近々、誰かに相談してみよー。
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