新年の目標のかわりに、自分がめざしたい在り方を。
これから関わっていきたい人の在り方でもある。
その1
無秩序をいかに楽しめるか。
秩序がないからこそ生まれる想定外に、身を任せる余裕を持つこと。
そこから生まれる渦に、希望ある未来があると知っていること。
自分のコントロールが届かないところにこそ、他人となにかをつくる楽しみがあると知ること。
自分でつくったものが、だれかの手や声をとおすことによって、予想していなかった形になって、自分に戻ってきたときのどきどき。
きっとそこに、明るい未来がある。
その2
好き嫌いはあっても、崇めたり見下したりしない。
好きなことを突き抜けて楽しむこと。
「最高」という瞬間は、もっと日々訪れるはず。
自分に持っていないものを持っている人には、羨むかわりに、心からの敬意と感動を表現すること。
嫌いと思うものも、一度立ち止まって、じっくり話を聞いてみること。
相手がまだ言語化していない本質には、実はとても面白いものや自分のコアに通じるものがあるかもしれない。
表面を比べるんじゃなくて、もっと深く好き嫌いをのぞいてみたい。
その3
立ち止まっている人、もがいている人に、じっくり向き合い、じんわり見えてくるその不安や小さな一歩を待つことができるか。
寄り添う言葉をかけることができるか。
自分がすいすい歩いているときは、うじうじ具合や、自分しか見えていない状態は、歯がゆく感じるかもしれない。(たぶん今の私はちょっとそうだから、反省)
「今のきみが負のスパイラルに陥っているのはわかる。でも、そこでぐるぐるしたことがある人は、絶対あとで同じ状況にある人に会ったときに優しくなれるから。経験したことない人とは違う言葉をかけられるから」
何度も思い出す、3年前の上司の言葉。
どうしようもない状態から抜け出せなくて、もう笑うことができないような気がしていたあの頃。
穴を何度も這い上がっては、出口に手をかけるたびに、蹴落とされていた日々。
同じ負のスパイラルを経験したことがある上司の言葉が、穴のなかでべこべこになっていた私の自尊心に、また穴の外の光を見てみようと気持ちを取り戻させてくれた。
恩返しをできていない気がしていていたけれど、私が他の人にとってそんな言葉をかけられる人になるときなのかな。
次会うときは、へんな罪悪感に支配されずに、ちゃんとありがとうを言えたら。
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